ブルータス - 中風美術研究所 | 岐阜の美大・芸大受験予備校
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2017.02.12

ブルータス

BC3世紀、ルキウス・ユニウス・ブルータスはエトルリアの王を追放し、共和制を敷いて、初代執行官となる。それから 二百数十年後、ルキウスの子孫のマルクス・ユニウス・ブルータスは、ローマがカエサルによって共和制から皇帝を戴く帝国になることを、カエサルを暗殺することによって妨いだ。「ブルータス、お前もか?」のブルータスは、マルクスの縁戚のデキムス・ユニウス・ブルータスで、別人です。巨大な国が一人の王の専横政治、独裁国家に走ることを許さず、カエサルからとても高い評価を得ていたというのに、カエサルを暗殺する、というヒーロー譚的に言えば「裏切り者」のブルータスは、自由を尊び独裁政治を嫌うローマ人から今も慕われている。
ミケランジェロ自身も若き日、フィレンツェにおいて、メディチ家の庇護下でギルランダイオの弟子となり、芸術家としての素養を育んだ。その後、教皇の注文であるシスティナ礼拝堂天井画を書き終わり、メディチ家霊廟の建築も請け負っている。ところが、1527年、ローマ教皇はメディチ家出身のレオ7世の時代、フィレンツェにおいて強権をふるうメディチ家が市民に嫌われ、フィレンツェを追われる。そして、共和制が敷かれたが、1530年、スペイン神聖ローマ帝国がレオ7世の意を汲んでメディチ家の復権を求めてフィレンツェ共和国に戦いを挑むと、ミケランジェロは共和国側に立って防衛壁の建築監督ととなり、教皇に刃向かったのではあるが、負けてしまう。
ミケランジェロがメディチ家霊廟の地下室で数ヶ月隠れ住んでいたのち地上に現れると、教皇は、ミケランジェロの才能を惜しみ、今後もバチカンのために作品を作り続けることを条件に、何の咎めもしなかったという。
共和制に自由を信じて、専横的なメディチ家に刃向かった同輩たちは次々と処刑されたというのに、ミケランジェロは生き残らされてしまった。
そして、作品を作ることのみが彼に残された。その無念が、ブルータスに表現されている。さらに、何体も奴隷を作った彼の心。ブルータスへの思いは、そこにも繋がっている。

Mさん、一生懸命描いてます。

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