ピカソ 岐阜新聞素描2 - 中風美術研究所 | 岐阜の美大・芸大受験予備校
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2019.11.19

ピカソ 岐阜新聞素描2

素描2
 
ピカソ

ピカソは良いか? 悪いか? そもそも分からない? 読者にアンケートを取ってみたい。多くの人は、分からないと答えるのではないだろうか。実は、僕も美大の3年生まではなんで良いのか分からなかった。写実を含めて精緻を尽くした良心的な力作に心を寄せていたから、ピカソの描き殴りっぱなしには怒りさえ覚えた。というのに、上野の美術館やデパートの展覧会でピカソとその時代の作家たち、エコール・ド・パリ展を見た帰りの電車の中で、澱のようにピカソの作品だけが脳底ビデオに溜まる。どうしてだろうと咀嚼しているうちに、ある日、知っている画家の中で一番美しい! と覚醒したのであった。
 モーツァルトやベートーベンの曲に、歌詞がなくても鑑賞できるのは音楽として自立しているからだが、絵画は長い間、神話や宗教などの言語を補佐するために描かれてきた。言語に頼らなくても美しいと絵画が自立したのは現代美術の父、セザンヌがあってこそだが、それをキュビズムへと発展させたピカソの功績である。
 彼は美術教師の父に4歳から写実デッサン、素描を仕込まれ、12歳には写実を完成させた。だから自由奔放な児童画を描いたことがない。それで大人になって、描きたい放題に爆発した。それが100年以上前のことだ。
 今さら自立を果たした視覚芸術の対極にある言論界の者が、美術展を企画すること自体が難しい。某現代美術展で、見る目に面白いものは何一つなく、目で作品を読み解く以前に用意された、言語の洪水に辟易とした。それならばネットニュースで十分だと。

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