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今から12,000年前、人類にドメスティケーションという大革命があった。ドメスティケーションとは、家畜化と栽培化のことで、人類は狩猟採集生活から脱し、農業の発明により食糧が計画的に生産、備蓄できるようになり、暮らしが楽になった。とともに、大多数の農民に寄生する、労働をしない少数の支配階級も出現した。ドメスティケーション以前の人間や、現在でも人間以外の動物たちは、ただただ生きるために全神経と時間の全てを使ってその時々の餌を採集している。かろうじて生きていることだけで精一杯であった。その後、ドメスティケーションによって何が生まれたかというと、ヒエラルキーの他に、余剰な時間、いわゆる余分なことを考える暇ができた。そして、まず第一に、人類は、生きているものは必ず死ぬ、われわれの存在とは何か?という茫漠とした、しかし根源的な不安と恐怖にとらわれることとなった。とはいえ、自分ももちろん、この世の生き物すべて死ぬ運命であるということに、毎日のように怯えながら暮らす事は大変苦しい。そこで2つの道が生まれた。自分の属する一族の祖先などを存在の根源として神話化したり、火などの自然現象に惧れを感じて拝んだり、絶対神を創造(絶対神が我々と世界を創造したのではなく、人間が絶対神を創造した。)し、「信じる」ことで、いかに人智を超えた謎に対する不安や恐怖をなかったことにするか、という態度が宗教となり、もう一方、その、不安と恐怖を伴う謎を、どこまでも解きあかそうという態度が哲学となった。どちらも、虚無感から人を救うことにはなる。

さて、様々な科学が発展した20世紀ですら、哲学はこの世界の存在意味を解明できなかったが、生まれた当時の科学のレベルを基にして、世界の仕組みを説明する答えを完結させた宗教は、その後の人類の科学的発見や発明の進化によって、多くの間違いを指摘されてきたのは事実だ。そして、21世紀も5分の1まですぎた。

未だに、知り合いのプロテスタントの牧師さんは、1860年代、ダーウィンから始まる進化論は、一部の学者によるロマンチックな科学的推論にすぎなく、ありえないという。この世界の全ては、全能の神によって創造されたので、それ自体、完璧な設計図に基づいており、オートマチックに進化するはずがないのだそうだ。とはいえ、DNAの解明によって、実学的にも実業的にも、特に医学においてもあらゆる場所ですでに有効に進化論の成果は実現化されている。

話は変わるが、第一次世界大戦後、ドイツでは、ワイマール憲法が出来、とてもリベラルな社会が構築されるだろうという予想を覆して、ナチスに蹂躙された。

時間軸のプラスの方向に向かって、社会はナチュラルに、より良い方向を選択するという考えは、大変無責任であって、ポピュリズムに乗って、劣化することはある。今現在の、自国オンリー、ファーストなどのナショナリズムの復活のように。

それに対してより良い新しくリベラルな論理と世界の解明は、すぐれた人智の重なりによって、進化することはあっても、劣化してはいけない。

まさしく日が昇るようであった戦後から1990年のバブルの崩壊まで、経済的豊かさをバックに日本のアートシーンは骨太に進化に向かっていたが、おびただしい作品群の値下がりに、アートの進化に寄与してきた進歩的コレクターが一気にいなくなった。

そこで新たに参入してきたコレクターは、漫画アートや写真を写した美人モデルのポートレートというわかりやすい画像の作品を買っている。少なくとも美術史を勉強したものとしては、漫画アートは19世紀末パリのサンボリズムの亜流だし、美人モデルポートレートも、19世紀パリのサロン派の亜流に見えて、ふたつとも、いつのまにか美術史において真ん中を流れる大河の脇を小さく流れている、といったように思える。

表現者として、未来へより良い方向に流れる流れには、流されるべきだと思うが、ときに流れは過去へと退化への道を進むこともあって、そういう流れには、たった一人でも抗ってせいぜい邪魔となりたい。

 

12,000 years ago, human beings had a major revolution called domestication. In livestock and  farming, human beings have left the hunting and gathering life, and the invention of agriculture has made it possible to systematically produce and store food, which has made life easier.

At the same time, a few dominant classes who do not work, which are parasitic to the majority of farmers, have also emerged.

Humans prior to the invention of the domestication, and even non-human animals today, are collecting food using all their nerves and time just to live.

After that, the invention of domestication gave birth to a dominant layer, and also gave extra time to think about extra things.

And first of all, living things will surely die, what is our existence? Humanity has been plagued by now from 12 million years ago on with perpetual and fundamental anxiety and fear.

But, of course, it is extremely painful to live everyday life, conscious of the fact that all living things in this world are to die.

There were two ways born.

Some people created the myths of our family’s ancestors as a source of existence, and some people feel God for natural phenomena such as fire and believe in, also, some create absolute God (absolute God did not create the world with us, but human created absolute God), By “believing”, the attitude of how to be anxious or fearless to the mystery beyond wisdom is the religion. On the other hand, philosophy was to elucidate the mystery that makes us feel as uneasy and fear as possible.

Both will save people from emptiness.

Well, even in the 20th century when various sciences developed, philosophy could not elucidate the meaning of existence in this world, but it is fact the religion that completed the answers that explain the structure of the world based on the level of science at birth were pointed out many mistakes by later scientific discoveries and the evolution of inventions by humanity.And a fifth of the 21st century has passed.

Still, a Protestant pastor who I know says that the theory of evolution starting from Darwin in the 1860s is only a romantic scientific reasoning by some scholars and is wrong.Everything in this world is created by the Almighty God itself, based on God’s perfect design, so it can not be evolved automatically.Nevertheless, the elucidation of DNA has already made the results of evolution effective in practice, in business, and especially in medicine.

Although story changes,but in Germany after World War I, the Weimar Constitution was enacted, but the Nazis shattered expectations that a very liberal society would be built. The idea that society naturally chooses a better direction toward the positive direction of the time axis is very irresponsible, and it may deteriorate due to populism.Just like the resurgence of nationalism, as it is now, to “only” do politics for one’s own country, and one’s own country benefit is “first”.However, better new liberal logic and elucidation of the world should not be degraded,because it should evolve, due to the overlap of superior wisdom.

From postwar economic growth, which was just like rising sun, to the collapse of the 1990 bubble,Japan’s art scene had been steadily evolving with economic richness behind, but since the collapse of the bubble, progressive collectors who have contributed to the evolution of art have disappeared at a time when the prices of the numerous works have fallen.

Therefore, new collectors have bought artworks that are easy to understand: cartoon art and portraits of beauty models drawn by looking at photos.

At least for me who learned art history, Japanese cartoon art is a substream of Paris symbolism in the late 19th century, and portraits of beautiful models also look like a substream of the 19th century Parisian salon paintings. Both seem like a small stream flowing by the side of a large river in the middle of the art history.

As an expressor, I think we should get on a flow that flows in a better direction into the future,however, sometimes the flow is on the way to the past and to the degeneration, so In such a flow. I want to resist and be in the way that flow , even if alone.

本江考

友人の本江邦夫さんが、6月3日に亡くなった。韓国からの帰り彼は羽田空港で突然倒れた。心筋梗塞だったそうだ。高校時代彼の家にあったガロア数学のテキストを読みふけり、東大に進学し宇宙工学への道へ進もうとしていた。ところが強く死生観へと気持ちが奪われ、東大人文系へ進学することとなったと聞いた。後日知ったのだが、私が21歳、その後妻となる女性が19歳の時、初めてデートに誘ったのが彼が企画した東京国立近代美術館のマチス展だった。

アートスペース羅針盤での私の個展には毎回来てくださった。彼とはひとまわり、私は年下であるが、何年か前の私の個展に来てくださり、岐阜から来た母が持ってきてくれたお菓子を本江さんに差し上げたところ、目を細めて包み紙を丁寧に剥いて、口に運び、美味しい美味しいと言って下さった。それ以来、他の鑑賞客の前で、私のことを、友人、と言ってくださるようになったので、友人、と呼ばせていただいた。

本江さんとの初めての出会いを思い出してみる。

十年ちょっと前に行われた東京京橋のアートスペース羅針盤での個展に、来廊してくださったときに、画廊のオーナーの岡崎さんに紹介していただいたのだ。第一声、「君はバーネットニューマンの生まれ変わりか?どうやら君の生まれ年はニューマンが死んだ年に近い。」であった。

私の作品は、この時の一年前のやはり羅針盤での個展では、二つの平面で構成されていて、一つは複雑な層と微妙な濃淡のある現職に近い色面、もう一つはこれも微妙な濃淡のあるメタリックシルバーの色面で、二つの面積対比が大きくても3対7くらいのことであったのだから、わたしは自分を色面作家だと思ってきた。あれから一年たって、心境の変化とともに、シルバーの色面が縦に細くなってきたのであった。だから、バーネットニューマンは全く念頭になく、そのとおりのことを本江さんに答えた。すると、そんなわかりきったことを聞くのか、というようにすこし眉を険しくして、「プロの画家なら、自分の作品がどこかで過去の画家と似ているといわれたら、どこが違うのかしっかりと調べて言葉で説明すべきだ!」と熱いパッションで言った。ということで、早速羅針盤のオーナーに教えてもらってDIC川村記念美術館に行った。今はもう売られてしまってないのだが、アンナの光という題名の作品は、暖かくて、永遠を思わせるような崇高さがあり、どこか彼岸を感じさせる作品であった。私は、常々いまを生きている自分の人生の有り様をノンフィクションで表現しようとしてきたのであり、ニューマンの足場よりも、生々しい場所に立っていることが確認できて、そこがニューマンとは違う、と言葉にできた。

さて、その翌年、また羅針盤での私の個展に来てくださり、今度は、開口一番、「君はどうやらとてもお金持ちなんだなあ。」と言われ、そこそこに帰ってしまわれた。美大を卒業して生活に追われて地元の教員採用試験を受けて、その年の秋に開館される岐阜県美術館にスカウトされたが、公立美術館の学芸員が画家であっては困るということで、一生懸命働いたが、翌年度の前に辞した。その際に、とても採用やその後の仕事でお世話になった上司に、「絵で飯を食うのがいかに大変かは知っている。中風がもし、画家として暮らすのが困難で、どうしようもなければ、もう一度、教員採用試験を受けなさい、そのころ私(上司)はどこかの教育機関で管理職になっていようから、採用してあげる。」、と言ってくださった。が、それが楔となった。もし、また教員採用試験を受けて、画家ではやっていけませんでした、と頭を下げるのは何があっても忍びないと、その時の妻と力を合わせてふたりだけで美術研究所をたちあげ、経営してきたのだから、中風がお金持ち、などという瞬間は未だに経験していない。また、今や全国で繊維業界は大不況だが、岐阜ではその走りであって、私の実家もその波を大きくかぶったのだから、私の美術研究所への支援など、望むべくもなかった。そこで、羅針盤のオーナーに、どういう意味なんだろうと問いかけてみた。

今回、本江さんの訃報をきっかけに、インターネットで本江さんに対するインタビュー記事をいくつか読んだ。わたしたち作者は自分を取り巻く空気を感覚で捉えながら、描きたい世界に向かって一心不乱であるが、それを批評するとしたら、当たり前だが、取り巻く社会情勢を言語で分析する必要がある。本江さんによれば、アメリカのアーティストは政治や経済とうまく結びついていき、制作や発表のチャンスを手に入れるのだが、日本では、現代美術家は自前で会場を借りて発表をし、経済的にも恵まれない場合がほとんどだが、しかし、だからこそ、作家のエネルギーで成り立っている、と言っている。

まさに、売れもしないよくわかって貰えそうにもない抽象絵画をギャラリーで並べている私は、現実離れした、お金持ちとしか、私の事を批評する要素はなかったと思う。

またその翌年あたりに羅針盤で個展を開いていた頃には、本江さんが、ようやく、中風の作品はバーネット・ニューマンとは違う。と言ってくださったので、ホッとしたことを思い出している。まだまだ、思い出はあるが、このあたりにします。

 

改めて、彼の文章を読むと、美術批評家として作品に向き合うとき、ご自身の命や存在を対峙され、時流に流されず、しっかりとした位置づけをする、と書かれている。彼が、宇宙から絵画へと大転回した動機には「死」、がある。我々の世界は、厳然とした死があって、生があり、ローマ人の言うメメントモリの精神がとても強く本江さんの意識の底流であったのだと思う。

5000年前に、メソポタミアで、ヒッタイト人により、楔形文字が発明されるさらに三万年前の洞窟壁画が発見されていて、絵画は人類にとってもっとも馴染みの深い表現である。洞窟絵画に狩猟や獲物が描かれたのは、それが彼らの生死に直結しているからだ。

こうして誠実な画家は、人として一番の関心事である、死と生と存在について、その画家そのものを表現してきたのだ。そうした絵の前に立って、画家が憑依するほどシンクロし、言語化すれば、精神的にかなりな疲労が蓄積することになる。

この世界を理解する窓としての絵画と真摯に向き合うことと、あらゆる二極化する価値観の、例えば善悪とかの、端から端まで体感しようとすれば、心臓が悲鳴をあげてしまうだろう。

本江さんは美術批評を仕事としてではなく哲学として、命の謎を解き明かす生き方としたのであろう。いくら生きている側にいるからといっても、想像とはいえ、自分を死の世界に置いてみたりする事は、端から見ていてもとても危なっかしい。

本江さんはカトリック教徒であるということを知った。敬虔な神の申し子である本江さんが、そこに実存するだけの、どちらかと言えば神の世界やあらゆる制約から自由に解き放たれる現代絵画の世界に身を置くとすれば存在への確信が二分されてしまう。なぜか本江さんと会うたびにどこか危なっかしい香りがした。まさか彼の心臓が悲鳴をあげて彼の命を終焉させてしまうとは。とはいえ、なぜか予感めいたものもあって、訃報を聞いた

3時間後には、受け入れている自分がいた。人間だから彼の批評が全て正しいとは言えないが、目の前に顕れる絵に作家がかけた体重ほどの重みを持って鑑賞してくれた本江さんほどの批評家がなくなったことがとても残念だ。冥福をお祈りいたします。

My friend Kunio Motoe died on June 3rd. Returning from Korea He fell suddenly at Haneda Airport. It seems that it was a myocardial infarction.

He read the Galois math text of someone in his family who had been at his home in high school, and he was going to study at the University of Tokyo and go on a path to space engineering. However, I heard that because he felt deeply and thought about life and death, and that he would go on to the humanities of Tokyo University.

Later I learned that when I was 21 years old, I invited a 19-year-old woman who will later be my wife to a date for the first time, and then the Matisse exhibition at The National Museum of Modern Art, Tokyo we went to, was organized by Mr. Motoe

Every time he came to my solo show at Art Space Rashinban in Kyoubasi ,Tokyo. Though I am 12 years younger than him, After coming to my solo show a few years ago and giving the sweets brought by my mother from Gifu to Mr. Motoe, he narrowed his own eyes and carefully peeled off the wrapping paper, He said it was very delicious. Since that time, in my solo show he began to call me his friend for another audience, so I called him a my friend.

I remembered my first encounter with Mr. Motoe.

When Mr.Motoe came to my solo exhibition of Art Space Rashinban in Kyobashi, Tokyo a little over a decade ago, gallery owner Okazaki introduced me to Mr.Motoe. The first voice was, “Are you a reborn of Barnett Newman? Apparently your birth year is similar to the year Newman died.”

In my solo show at Gallery Rashinban, a year earlier than when Mr.Motoe saw my work for the first time, my work is divided into two colored surfaces, One is a surface close to a complex layer and a subtle shade of primary color, and the other is also the surface of metallic silver with subtle shades, and the area contrast between the two areas is at most 3 to 7, so I have considered myself to be a Painters who compose large color surfaces. A year later, with the change of my heart, the color of silver has become thinner vertically. So, I did not have my mind at all about Barnett Newman, and answered Mr.Motoe exactly as it is. Then he seemed to be frustrated because I don’t know what everyone knows, and he said with passion” If you’re a professional painter and someone says that your work is similar to a painter in the past, you should definitely check out what’s different and explain in words!” So I asked the owner of Art Space Rashinban and I went to the DIC Kawamura Memorial Museum of Art. The work named Anna’s Light has already been sold and it is not there now, and it has a warm, eternal sublime, and a feeling somewhere not in this world. I have tried to express in non-fiction the state of my life that is always alive, and I can confirm that I stand in more realistic place than the foothold of Newman, which is different from Newman I was able to words.

Well, the next year I first met him, he again came to my solo show at the gallery RASINBAN. And this time he first told me, “You are apparently very rich.” And soon he went back.

I graduated from Art University and took a local teacher recruitment exam to earn money for life. And I was scouted at the Gifu Prefectural Art Museum, which will open in the fall of that year. It is said that curators in public art museums should not be painters, and I worked hard for half a year, but resigned from the art museum in March of the following year. At that time, the boss who hired me and cherished me at work said, “I know how hard it is to make money with pictures. If you have trouble living and you can not be a painter, take the teacher recruitment exam again, and I will hired you at that time because I will be managerial at some educational institution. ” But It was decided that I could never do as he said. I can not do anything about taking a teacher recruitment test with my head down because I could not become a painter. I joined the power of my wife at the time and started up an small art institute with only two people, so I managed to run, so I have not experienced the moment when I(Nakakaze) is rich. In addition, the textile industry in the country is now in great recession, and the textile industry in Gifu has been the first to decline ahead of the whole country, and my parent’s family has also been wearing the waves of the recession. There was no hope for the support of my art institute. So I asked the owner of Art Space Rasihnban what Mr.Motoe meant to mean that I am rich.

This time, in the wake of the news that Mr.Motoe died, I read some interview articles for Mr.Motoe on the Internet.

We artists will do our best towards the world we want to draw, while sensing the smell of the air surrounding us, if it is criticized by critics, it is natural, but it is necessary to analyze the surrounding social situation in words. According to Mr.Motoe, American artists get in touch with politics and the economy, and get opportunities for production and presentation, however, in Japan, artists of contemporary art pay their own money and rent and give presentations at the venue they rent, but in most cases they are not economically well off. However, Mr.Motoe said that the artist’s energy in such a situation is what constitutes contemporary art. In fact, I exhibited in the gallery abstract paintings that are neither bought nor understood by collectors. So he could only criticize me for being a rich man who was far from reality. At last ,when I was holding a solo exhibition at Art Space Rashinban around the following year, Hone-san finally told me that Nakakaze’s work is different from Barnett Newman. With those words of him, I remember that I was relieved.

There is still a lot of memories, but I stop writing.

 

Once again, when I read his text, it is written that the work he criticizes as an art critic faces his life and existence, and that he is not influenced by tend, and does a solid position. One of the motives for him to turn from space to painting criticism is the [death]. In our world, I think that there is death and life as absolute existence, and the spirit of Memento Mori said by the Romans was very strong and undercurrent of Mr. Motoe’s consciousness.

A cave painting of 30,000 years ago was discovered since Hittite invented cuneiform 5000 years ago in Mesopotamia, and painting is the most familiar expression for humanity. Hunting and prey were drawn in the cave paintings because it is directly linked to their life and death.

In this way, sincere painters have expressed themselves as the most important human concern, death, life and existence. If you stand in front of such a picture, and you are synchronized by the painter,and verbalized that picture you will accumulate considerable mental fatigue. The heart screams if you try to face the picture as a window that understands the world and sincerity, and try to experience all the dichotomizing values, such as good and bad, from end to end. Mr. Motoe probably had a way of life that unravels the mystery of life as a philosophy, not as a work of art criticism. Mr. Motoe probably had a way of life that unravels the mystery of life as a philosophy, not as a work of art criticism. Even though we are on the living side, it is very dangerous to imagine yourself in the world of death, seen from outside.

I knew that Motoe was a Catholic.

Motoe who is a pious catholic who is a child of God. If he put himrself in the world of contemporary painting that can be freely released from the world of God and all restrictionsit, he will be divided into two. For some reason every time I met Motoe, there was a dangerous smell. It was unexpected that his heartbreaking screamed and ended his life. However, I heard that he died, although there was something I felt for some reason

Three hours later, I had an acceptance of his death. Because he is a human being, it can not be said that all his criticisms are correct, but it is very disappointing that an art critic like Motoe who saw and critiqued the painting which appeared in front of him with energy of deep thought and great emotion same as the author put on is gone.

I pray that his soul may rest in peace.

地中美術館に入っていくと、コンクリートの壁で仕切られながら、真上に空が広がり、外気と触れ合って、開放感を感じる。一昨年の12月に東京新国立美術館で安藤忠雄展を見た際に、大阪茨木の光の教会が原寸のまま、再現されていた。大きなコンクリートの壁に囲まれながら、正面の壁に縦横に開けられた十字のスリットは12月の冴えた光を鋭く内部の床から壁にかけて取り込んで、決して閉塞感を感じさせない。安藤忠雄のコンクリートの壁は、高くそびえながら内と外の空気を循環させている。

When I enter Chichi- Art Museum, the sky spreads just above while being divided by the concrete wall, and I feel openness by touching the outside air.When I saw the Tadao Ando exhibition at  National Art Center,Tokyo in December of the year before last,Church of the Light ;IBARAKI KASUGAOKA CHURCH in Osaka  has been reproduced in its original size. While surrounded by a large concrete wall, the cross slit opened vertically and horizontally in the front wall captures the light from December in a sharp manner from the inner floor to the wall and never feels a sense of blockage.The concrete wall of Tadao Ando circulates air in and out while standing high.

モネです。天井からの間接光が展示空間を優しく浮かび上がらせていて、ここで見るモネの睡蓮は、絵画における中心を持たず、オールオーバーに鑑賞者を包み込み、空間そのものを演出していて、その後のインスタレーションへと結びついているように思えた。

This is the exhibition room of Monet’s water lily.The indirect light from the ceiling gently brings up the exhibition space, and the Monet’s water lily seen here has no center in the painting, wrapping the viewer all over, directing the space itself,it seemed to be connected to the installation afterward,

ここから、ジェイムズ・タレル。

直島の旅の秀逸であった。まずは暗がりの部屋に浮かんだ光の矩形が出っ張った立方体のように見え、また、減っこんだ立方体のようにも見える。部屋の反対側を見るとプロジェクターが。この錯視は私の心を光、そして瞑想の世界へ誘(いざな)った。

From here, it is an exhibition of James Turrell. It was an excellent piece of work I saw on my trip to Naoshima.First of all, the light rectangles that float in a dark room look like a cube popping out, or conversely, it looks like a cube is receding.The projector is on the other side of the room. This illusion symbolized light in my heart and brought it to the world of meditation.

まず、この展示室には5名づつしか入れないとのことで、ひとまず待っていました。そして私の番がきて、入ってみるとこの階段の青い光の作品。係員に階段を登るように言われて、五名が横並びとなり一列で登っていくと、青い光の中に入るよう指示されました。

I waited for a while, saying that only 5 people would be put in this room.And when I get in, I get a piece of blue light above this staircase.The clerk told me to climb the stairs, and when the five persons were lined up in a row, they were instructed to enter the blue light.

そうして入っていくと、奥の正面向かって緩やかな傾斜で下がっていき、真ん中あたりでこれまた横並びで立つように指示されました。しばらくすると、視界全体がピンク一色に染まりました。そして、正面を見続けると、そのピンクが微妙に明るくなったり。変化がゆっくりで、自覚するのに時間がかかります。それは、朝焼けがゆっくり街と私たちを包み、気がついたら光りに包まれているような。いつのまにか、懐かしいのに新鮮で、タレルの世界に静かに染められていきました。私の体の肌全てに、嫌な刺激とかではなく、爽やかに電流が走ったようでした。思わず後ろをみると、開口部の周辺にLEDライトがずらりと並んでいて、タレルの演出をコンピューター制御していました。

When I came in, we was instructed to go down a gentle slope towards the wall at the back of the room,the and again,I lined up in a row around the middle. After a while, the field of my vision was all pink.After a while, the view was dyed in pink. And if I keep looking at the front, the pink will become slightly brighter. The change is slow and takes time to notice.It seems that the morning glow slowly wraps around the city and us, and when we notice it, it is covered in light. Before long, I was nostalgic, fresh and quietly dyed in the world of Tarrell.It seemed that the current flowed fresh to all skins of my body, not unpleasant stimuli.Involuntarily looking at the back, the LED lights were lined up in a triple row around the opening, and the direction of the tarrell was controlled by the computer.

そしてもう一つ奥の部屋に入ると、部屋の周りをぐるりとベンチが取り囲み、天井の真ん中が抜けていて、空の青さが目に染みます。地中美術館の屋根を透過して、地中の展示室に光が差してくる、空がキャンバスとなっています。

The blue of the sky is noticeable to the eye.Through the roof of Chichu-Art-useum, light comes into the underground exhibition room, the sky is a canvas.

映像で見るニューメキシコシティーの作品「ライトニング・フィールド」には、そのスケールの大きさで圧倒されます。しかし、脱美術館の代表作家であるウォルター・デ・マリアの作品を美術館屋内で展示することはとても難しいと思いました。

I am overwhelmed by the size of the scale of the work named “Lightning Field” of New Mexico City seen in the image.However, I thought that it would be very difficult to exhibit the works of Walter de Maria, a leading artist of Land Art, in the museum.

 

参考)ライトニング・フィールド

Reference photo;Lightning Field

 

研究所からのお知らせ

春期講習をします。


今年も夢の実現のために春期講習を開催します。当研究所の卒業生は、合格した大学で高い評価を受けています。

左のデッサンは、岐阜大学教育学部美術のための課題です。右のデッサンは、富山大学の美術学部を受験するためのデッサンです。ふたりとも、現役高校生です。

研究所からのお知らせ

2018冬期講習会のお知らせ。

2018年度合格数
九州大学芸術工学部画像設計学科 1
富山大学芸術文化学部芸術文化学科 1
岐阜大学教育学部美術教育講座 1
武蔵野美術大学造形学部デザイン情報学科 1
多摩美術大学美術学部絵画学科油画専攻 1
東京造形大学造形学部デザイン学科アニメーション 1
東京造形大学造形学部デザイン学科室内建築 1
女子美術大学芸術学部美術学科洋画専攻 1
女子美術大学芸術学部アート・デザイン表現学科メディア表現領域 2
女子美術大学芸術学部デザイン・工芸学科環境デザイン専攻 1
名古屋造形大学造形学部美術コース 2
名古屋造形大学造形学部建築インテリアデザインコース 1
名古屋造形大学造形学部造形学科アニメーション・CGコース 1
2017年度合格数
金沢美術工芸大学美術科彫刻 1
沖縄県立芸術大学デザイン専攻 1
多摩美術大学絵画学科日本画専攻 1
武蔵野美術大学デザイン情報学科 1
女子美術大学洋画専攻 1
女子美術大学日本画専攻 1
女子美術大学メディア表現領域 1
名古屋造形大学美術 3
名古屋造形大学メディアデザイン 1
名古屋造形大学イラストレーションデザイン 1
名古屋造形大学グラフィックデザイン 1
2016年度合格数
東京芸術大学美術楽部デザイン学科 1
愛知県立芸術大学び術楽部工芸科 1
武蔵野美術大学造形学部油画学科 2
多摩美術大学美術学部絵画学科油画専攻 1
多摩美術大学美術学部情報デザイン学科 1
京都造形芸術大学芸術学部キャラクターデザイン学科 1
名古屋造形大学視覚伝達デザインコース 1
名古屋造形大学デジタルメディアデザインコース 1
名古屋芸術大学美術学部日本画コース 1
名古屋芸術大学美術学部デザインコース 1
Kids Art

子供向け絵画教室

豊かな感性と創造を育む
楽しい遊びと表現
<4才~小学生>

静物画・自由画・
模様描き(デザイン)などの、
水彩(クレヨン)画を中心に、
季節に応じた簡単な工作を
織り交ぜながら、
楽しく作品制作をしています。
Art University
Examination

美大受験コース

アーティスト、
グラフィックデザイナー、
TVゲームデザイナー、
プロダクトデザイナー、
TV・舞台セットデザイナー、
CGデザイナー、
建築設計士、美術教育者…。
これらの未来は
夢物語ではありません。

「夢」の実現に向けて
研鑽を積んでみんなの「夢」は
「現実」となりました。
さあ、あなたの「夢」は何ですか
実現に向けて一歩を
踏み出しましょう。
Art Labo

一般絵画教室

油絵・水彩画・パステル画、
皆様の興味を持たれるのは、
何ですか?

中風美術研究所は、
皆様の自由な発想を
重視した絵画教室です。

趣味から絵画展への
出展まですべての人の
ご要望に応じます。
N ART LABO © Copy Right 2005n-art.com All Rights Reserved
中風美術研究所
岐阜市の美術・芸術大学受験予備校/一般・子供絵画教室
美術専門の教室を開設して30年となりました。楽しく絵を描きながら展示会も行っています。
中風 明世
Akiyo Nakakaze
幼稚園児から大人、そして美大を目指す受験生まで、絵画全般すべての人のニーズ に対応します。年に1度作品展を行ったり、親睦会なども多々あり、楽しくアットホーム な雰囲気で勉強できますよ。
- 常勤講師 -
片岡 美保香
Mihoka Kataoka
それぞれの生徒の夢をバックアップします。
小森 和恵
Kazue Komori
子どものキラキラした目に出会うことが大好きです。作ることの楽しさを、一緒に感じて行きたいです。
浅野 智美
Tomomi Asano
どうして子どもの描く絵はすばらしいのでしょうか。子どもの可能性を、図工でのびのびと育むサポートをしたいと思っています。
- アドバイザースタッフ -
岡 廉久郎
Renkuro Oka
山内 明日香
Asuka Yamauchi
杉浦 葵
Aoi Sugiura
田中 宏和
Hirokazu Tanaka
福田 圭佑
Keisuke Fukuda
シゲヲ ヨシダ
Royale designer
園三
ENZO