素描4
ゴーギャン
40年前の高校2年生、第一志望を有名国立大学から美大に変えた。担任に報告早々、理系クラスの友人に会いに行くと、そのクラスの担任が見咎め、「お前は美大を目指すばかになったんだから、うちの生徒に会いに来るな! ばかがうつる!」と言うのに、びっくりした。ある日、全校朝礼で背後を黒い影がさっと走ると、1人の男子生徒の足を払い、倒れた頭を踏みつけて「校長先生が訓令中に、何を私語しとるか!」と怒鳴る。そんな彼は美大志望に極端な偏見を持っていた。
あれから21世紀も5分の1を過ぎたが、美術の見られ方はどう変わったのだろうか? 科学の急激な発達は、自然の摂理や人間の複雑な心理を解き明かすごとに、その周辺で分からない事を連鎖的に増やす。20世紀中に宇宙を数式で表すと期待されていたホーキング博士も残念ながら亡くなり、どうにもコントロールできない矛盾が世界に満ちるのに頭を垂れ、「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」と問うゴーギャンへの答えをより遠くに追いやる。
宇宙開闢138億年、始まりがあれば終わりがあるという。あらゆる知識を詰め込むには、1350㏄の脳みそでは足りなさすぎる。残念だが、僕たち人間は生まれてしばらくしてからの記憶しかなく、また、死ぬ瞬間には意識が断ち切られていて、完全な自分の時間を把握することすらできない。しかし、我を忘れるほど美しいものに見入り、何かを愛する瞬間はないだろうか? その瞬きこそに、この世界が存在した証があり、それが美術の役割だとしたら、ばかとは言えない。