中風明世展 オープニング。 - 中風美術研究所 | 岐阜の美大・芸大受験予備校
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2018.01.30

中風明世展 オープニング。

平成30年1月28日、岐阜、池田町の極小美術館で、臼井千里、中風明世展が始まりました。

雪模様にもかかわらず、80名以上の参加をいただき、どうもありがとうございました。

今回、リーフレットのテキストを書いてくださった、豊田市美術館長との出会いから、まだ短いおつきあいなのですが、テキスト、また、会話で指摘してくださった言葉から、見えてきた自分の実像は、これからの制作に、大変大きな覚醒を呼び起こしました。

テキストにおける、曖昧で逡巡とは、非常に深い、無意識のうちで決定された文体とか、話し方と言ったところで、意識にあって、言葉でわかったつもりで声高に主張する見かけの問題より、さらに深いところの私を、村田館長の言葉で明らかにしていただきました。

また、二次会の風流屋形船への道中、「ぼくは、いつも普通の格好を心がけ、はたから見たら、サラリーマンに見えるようにしている。」との発言に、すかさず、「中風さんは絶対にサラリーマンにはなれない。(要約)そんな中風さんが生きていられる世界であることが大切なんです。」と、館長が。

考えてもみれば、小学6年生のときにオイルショックがあって、実家が小さなアパレルメーカーで、母親が随分苦しそうなのを見て、漠然と、将来の夢がアラブに行って、日本が困らないよう石油を輸入してやろう、と思っていたので、高校に入ったら、経済関係の大学か、外語大学に行くつもりだったのですが、「存在の不安」にとりつかれ、美術に大きく舵を切ってしまったのですから、筋金入りでした。多分石油関係の仕事なら、商社ですから、この時に落第していました。

29歳、パリでルーブル、オルセー、ポンピドーと巡って、美術という狭いジャンルにとどまらず、形は視覚表現であっても、総合芸術としての内容が無ければならない、と思い、いずれ、人間の有り様として、哲学として、評論していただけたらと思ってきましたが、村田館長が、大学で、哲学を学んでいらした、と知り、何重にも嬉しい一日でした。

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