素描6
甲田洋二
今秋、東京・銀座での甲田洋二展で、裸婦の素描を1枚求めた。武蔵美術大の学長を8年間勤め、2015年に退官した画家だ。精神に鋭く斬り込む世界を描き、学生にも好かれた。40年前、僕が卒業間際、偶然酒席で隣に座られた。一度も指導を受けるチャンスはなかったが、先生を知っていて「作品も見せていない失礼を承知で、何か一言ください」とお願いした。
「まいったなー」と頭をかきながら、「君たちは高倍率をくぐり抜けたプライドだけでかくて、裸婦を描く時に、やれ重心がどうだとか、立体感がどうだとか小難しいことばかり考える。しかし、まず、目の前に裸の女が立っているのに、若い君たちは何も感じないのか? 絵を描く前に、もっと大切なことがあるだろう?」と言う。確かに研鑽ばかりに気がいって、大切なことを忘れていた。中島敦の小説「山月記」の虎のようだと、体の芯を稲妻が走った。それから、先生の言葉を一番大切にして絵を描いてきた。その精神が体現された、甲田の裸婦の素描である。
東京でも田園風景の残る青梅に住み、退官後、さらにまた草深い、古い一軒家をアトリエとして、毎朝通う。超多忙だった大学教員生活から抜け出て、毎日絵を描いたり、思考を巡らせたり。自分でも何が何だか分からない時を過ごしたり、その日々が、いかに大切であるかを味わう喜びはこの上ないという。
高い役職を退いた後も、現役で味わった名誉欲にとらわれず、後進に道を譲り、野に放たれて、我々は無一物である画家から始まり、無一物である画家に戻ればいいのである。