WORK 58 です。こんな大きさ。
私がアートディレクターをした現代美術の視点2019 のオープニングで、出品されている別所洋輝さんと、豊田市美術館長の村田眞宏さんと私の会話です。
私 「今回、展示計画をさせていただき、別所さんの作品を画像でしか見てなかったですが、搬入された実物を一目見ると、テクスチャーの存在感がすごくあって、ファンタジーではなく、骨太な作品なのだと思いました。」
村田さん「たしかにそうです。写真映りだけだと、わかりません。(昨年、極小美術館で中風明世展のテキスト、紹介文を村田さんに書いていただく際に、わざわざ岐阜の作品を見に、預けてある倉庫まで来てくださった。)あなた(私)の場合も危なかったよ。写真を見ただけでは、ミニマルだと誤解してしまうから、実物を見て、紹介文を書いて良かった。」
と言ってくださいました。続けて、
私「ところで、今の美術界((現代美術展では、動画映像や、インスタレーションが主流となっている)ぼくのように、相変わらずタブローを描き続けているのは、時代おくれではないでしょうか?」
村田さん「いやいや、それを言うなら、美術館の役割だって、もう古くなっていて、いらなくなるかもしれないですよ。」
つまり、PC端末(スマホ)を持った一人一人が情報の発信源でもあり、受け手でもあり、例えば、建築物に空いた壁面の使い方において、ぼく(所長)たち画家にとっての脅威は、大型液晶ディスプレイです。
しかし、当初の会話のとおり、フリーハンドで作られたものには、作家の生きている体温が込められるものであり、それは、決してカメラ画像には写りこまないものです。ぼくたちタブロー作家は、環境に適応できなくて、絶滅してしまった恐竜のような運命をたどるのかもしれませんが、使命を持って良いタブローを制作して行こうと思います。
余談ですが、20年以上前に、名古屋で行われたレンブラント展で、油絵作品の一点に、絵の具層に押し付けられた指紋を見つけたとき、大変敬愛するレンブラントの息遣いを感じた気がして、とても嬉しかったです。