昨日、岐阜新聞 素描です。 | 中風美術研究所 | 岐阜の美大・芸大受験予備校
Blogカテゴリー >>
2019.11.05

昨日、岐阜新聞 素描です。


素描1

タイトル セザンヌ

僕が23歳、1982年9月末、開館の約1カ月前から県美術館学芸課に勤めた。開館記念展の準備で当時の絵画組成の泰斗、黒江光彦さんと出品作品のチェックをしていた時、大原美術館から借りたセザンヌの画面の端の盛り上がりに気付いた。木枠とキャンバスの間にキャンバスくぎが挟まっていた。黒江さんに告げると「絵が破れるところだった。君がこのセザンヌを救ったよ。」と、手近にあったはがきを二つ折りにし、簡単にくぎをすくい出した。

公立美術館のキュレーターは、あくまでもアートを客観的対象として捉え、個人の価値観を強く押し出してはならない。でなくては弊害が大きすぎる。お世話になった当時の学芸係長に、画家活動は辞めてほしい、と言われた。当時、バブルが始まった頃で、学芸室の先輩たちが、パリや中国に普通に出張していく。ベッドを置いた6畳間で、2メートルのキャンバスにしがみつき、油虫と自称してきた僕にとっては夢のような職場だったが、絵を描きたいという病は重く、半年で退職した。

送別会で、その係長から、実は僕を優秀な修復家にするために、イタリアに留学させるアイディアがあったと聞いて、少し悔いた。さらに「絵描きという生き方は尋常じゃない。貧乏に耐えられなかったら、また教員採用試験を受けなさい。学校への配属は私が推薦してあげよう。」と言ってもらったからこそ、絵を描き、大きな起伏のある暮らしをしながらも、画家になれませんでしたと頭を下げ、職を乞うことが意地でもできなくなった。この生き方の素描が正しいかどうかの答えは、まだ出ていない。

来週月曜日は休刊です。月曜日7回連載します。購読してくださると、嬉しいです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です